耕すか、耕さないか?

『なんちゃら栽培』と名前をつけるのがそもそも好きではない。という話はまた今度にします。『有機栽培』と『自然栽培』の間にはたくさんのチェックポイントがありますが、一つの大きなポイントとして、耕すか、耕さないかというのがあると思います。(脱線しますが、「農」という文字には耕すという意味が含まれていそうなので、「不耕起の自然農法です!!」と宣伝するのは危険だと思っています)

私は耕します。それを決めた一番の理由は、江戸時代以前も耕していたから。人力と家畜に頼るしかなかった江戸時代以前に、もし耕さない栽培法のほうがいいなら、耕すという文化は残らなかったはずだからです。そして、江戸時代以前に、自然は破壊されたでしょうか?耕したくらいでは、自然は勝手に再生しますよね?

あと考えなくてはならないのは洪水です。昔は洪水が頻繁に起きていたはずです。洪水までいかなくても、冠水レベルならしょっちゅうでしょう。そしてそのたびに農地は勝手に耕されました。耕されるどころか、そもそも元あったものがどれだけのこってるの?というレベル。外部からの投入物問題というのも自然栽培でてきますが、洪水が起きたら投入物とかそういうレベルではないでしょう?何を細かいことをちまちまと氣にしているのか?

ということで、自然に対しては耕すこと自体は害はないと、言い切ってしまいます!(どーん)。もしかすると不耕起で根っこや微生物たっぷり土壌のほうが、人の体によりエネルギーを与えてくれる作物が採れる可能性はありますけど、私は自然栽培の作物はそんなに食べる機会ありませんが、叶園でとれる野菜でも、かなりパワーもらえますからね。農業を始めたばかりのころに、年3回入院したほどぼろぼろだった私の體も、いまはしっかり癒してもらいましたので、人體にとっても十分だと思うのです。

ただ、トラクターの問題は、トラクター自体を生産するにあたっての環境負荷と、石油を使ってしまうところと、そのた交換部品、メンテ資材生産の環境負荷というのはありますよね。それは技術進化でなんとかなると思っているのですが、どうでしょう?

あと耕し方と、耕す頻度の問題というのもありますね。草一本生えていない砂漠のような畑でないと、田舎では周囲からにらまれる、という現象がおきます。あれはおかしい。耕した回数だけ生物は死ぬでしょうし、土も乾燥して、微生物を保持できなくなるでしょう。だから節度を知って、調和を保てる耕し方、というのはあると思います。そこがあまりにもひどすぎるから、耕す=環境負荷がある、というイメージになって、不耕起=至高のようなイメージになるのでしょう。

何事も節度だと思います。真理を知ったときに自分を赦せる範囲で。